秋吉 契里 存在 無力 CDアルバム購入
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無力はプレミアムがついております。
7枚のシングルと2枚のアルバムを残し去った秋吉契里。
私は1stアルバムを聴いた時、キングクリムゾンの1stを聴いた以来のショックを受けた。
クリムゾンファンは「大袈裟だ!」と言うでしょう。
音楽性に関しては、クリムゾンに勝る部分はありません。
しかし!詞の世界観がピート・シンフィールドが加入していた時のクリムゾンを
聴いたようなインパクトがあった。
何より、ロックはクリムゾンで「Confusion will be my epitaph」という言葉を得た。
私は契里のおかげで、「存在」という言葉を得た。
玄人向けの音楽だと思う。
何が玄人かと言うと、詞である。
音楽性を詞の世界観が征服している。
ああ、文句を言われるかもしれないけど、井上陽水と言った方がいいかな?
氷の世界を聴いたような、印象的な詞が出てきます。
そして今、「無力」を何度も聴いております。
1stアルバムがクリムゾンの1stだとしたら、2ndは・・・RED?
いいえ、私は違います。
4thのislandだと言いたい。
実験的な部分が多いと思います。
それはプロデューサーの意向が強いと思います。
そして、この世に出無かった3rdアルバムこそ、契里さんの集大成だったかも。
ところで芸名ですが、ちぎりという名の中に濁音である「ぎ」があります。
姓の部分であるならまだしも、名の部分で濁点の有る名を使う。
これは本人の意向なのでしょうか?
ちぎりという読み方を女性は好みますか?
本名が泉美であるとして、ちぎりより、いずみの方が濁音の有る名として、
響きの良いのは明白。
あきよし ちぎり 決していい易いとは思えません。
この辺は姓名判断では無く、数命学の分野でいつか、判断したいと思います。
それにしても、「あきよしさん」「ちぎりさん」と言うように、ニックネームが付けにくい。
当然「ちぎり」なんでしょうが、大きな声で叫んでみると、名前を呼ぶように聞こえない。
このあたり、芸名に関して不可思議を感じます。
世の中、出会いがあります。
今、高校生になった誰かが、ビートルズのファンになったかもしれない。
ジェームスディーンに夢中な中学生が居るかもしれない。
私は秋吉契里が亡くなってから12年後に知った。
ネットをいくら検索しても本名も、生年月日も出て来ない。
出身校も、何もかも出て来ない。
私はもしかしたら、死者の墓を掘り起こそうとしているのか?
いや、死者は永遠でいい。
私はつい先日、たまたま聴いた音楽に衝撃を受け、その方が秋吉契里さんという、
アーティストだった。
彼女の画がいた世界観は、通用するかしないか?
没後12年を経過した今、このブログであらためて紹介をしたい。
私の存在は・・・誰のためにあるのだろう?